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私が「冷酷な現実」から目を背けていたのです。

2017.09.28 (木)

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■<1> 垰本泰隆の一日。
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【9月28日(木)】

 

 

<ダイジェスト>

終日、東京都内。

 

 

<時々刻々の記>

 

屋根を叩く雨音で目覚めた
東京の朝、、、

 

 

早すぎた目覚めにつき
若干の二度寝をして(笑)

デスクワークをしてから
母と一緒に順天堂医院へ。

 

 

母と分かれて僅か10分後
順天堂医院より携帯電話に
緊急連絡が。

 

 

父が危険な状況につき
家族に連絡を取って
至急来てくださいとのことで

スタッフに後事を託し
二人の弟に電話をして
急ぎ、順天堂医院へ。

 

ICUに駆けつけると
お世話になっている医師の先生
看護師さん、そして母が。

 

 

今振り返れば情けないかな
父の手と足をさすり
人目もはばからず

「父さん、
帰ってこい。戻ってこい。」

繰り返し私は声をあげていたと。

 

 

二人の弟も駆けつけ
母と三人の息子に看取られ

14時20分
父は帰らぬヒトとなりました。

 

 

泣き崩れる母と二人の弟、
献身的にお世話下さった
看護師さんまでもが

父のために泣いているのに
私は何故か
泣けませんでした。

 

 

父の遺体を医院の皆さまが
処置してくださり

家族もどうぞ
身体を拭いてあげてください

と言われて父と再会した瞬間
周囲を弁えず、号泣しました。

 

 

その後
一旦事務所近くの
駐車場まで車を取りに行き

スタッフの小倉が
私が事務所に放置していた
鞄を届けてくれて

再度、順天堂医院へ。

 

 

献身的に最後までお世話下さった
医師の先生方、看護師さんが

ご焼香してくださり
最後まで本当に有難うございました。

 

 

お見送りを受け、豪雨の中、
父の遺体と、母と弟と
18時半過ぎに東京の自宅へ。

 

 

自宅到着直後、不思議と
雨が止みました。

 

 

早速に近所にお住いの
父が現役時代、苦楽を共にした

父の先輩ご夫妻が
弔問に来てくださり
有難うございました。

 

 

私は葬儀の手配やら
電話メールの対応やらで
あっという間に午前さま。

 

 

激動の一日が、終わりました。

 

 

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■<2>私が「冷酷な現実」から目を背けていたのです。
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母と弟が号泣している最中
何もできずに呆然と
立ち尽くしている私。

 

 

父の容体が9月15日に急変し
以来、一度も
言葉を交わすことなく

父はこの世を去りました。

 

 

威厳溢れる父が私に
「いいから、お前は行け。」

と父に背中を押されて
9月13日に札幌へ舞い戻った

その時の父の姿と言葉が
今もアタマを
駆け巡っております。

 

 

東京の自宅に戻り

「私が悪かった。後悔している。」

「オペをさせるんじゃなかった。」

と言葉を繰り返しながら
父の傍らで泣き続ける

生来、線が細く繊細な性格の
母の姿を直視できない
情けない私が、ここにいます。

 

 

当事者の父が2週間、苦しみ続け
家族が日々、悲嘆していくなかで

ヒトリ私は

「大丈夫だ。必ず良くなる。」

「俺は親父を信じている。」

なんぞと繰り返しておりました。

 

 

そう、私こそが現実を直視せず、
冷酷な現実から
目を背けていたわけです。

 

 

小なりとは申せ
経営者としてリーダーとして

「あってはならないこと。」

であります。

 

 

父親としてだけではなく
経営者の大先輩でもあった
父の背中を未だ超えられず

最後まで
「親父」と呼べなかった

不肖の息子(私)を
夢枕で昔のように
叱り飛ばしてください。

 

でも呑んでも飲んでも
今夜は眠れそうにありません。

 

 

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